Tessier=Ashpool

全然わからない 雰囲気で人生をやっている

この佳き日に。

 2019年3月6日、卒業判定に合格し、同22日に学士(工学)を授与されました。


 3月6日は10時にオンライン発表だったのですが、なんとこの日この時間、仙台に向かう最中だったんですよね。ええ。卒業旅行に…


 恋人の親と初顔合わせの予定もあり、前日は気の重さに眠れず眠剤を倍量飲んで飲酒までしました。ダメ人間…

 

 ちょっと訳分からんスケジュールでしたが、結果的に発表直前の発狂寸前タイムをうまくかき消せたように思います。電車内で確認しましたが、そういえば大学院合格も電車内で確認したような。ああいう待ち時間、個人的には非常に辛いのでやはり何かに気を取られているくらいがちょうどいいですね。


 で、大学時代の感想ですが、一言で言うと死ぬほどしんどかったです。


 実は3月6日の午後の時点で卒業エントリは書いてたんですよ。でも、記憶があまりに凄惨だったので向き合う体力もなく、中途半端に終わっていました。


 しかし、この無職期間(3/22~4/2)でガタつきながらもなんとか気力が回復したため、いい感じに着地させたく思います。


 人間の浅ましいまでの強かさとして、どのような出来事からも教訓を得られる点が挙げられますが、私が死にながら泣きながら生きていた日々を誰かが読んで、何かを得られれば幸いです。

 

 だらだらとドドメ色の学生生活を読んでもあまり面白くないと思うので、まとめを先に置きました。回想は興味のある人だけ読んでくれ。

 

 

 

 

 

まとめ

社会生活全般に対して

・謎の心身不調に対し、人々はもっと気軽に心療内科へ行くべき。

・まともな社会生活を送っているとストレッサーは絶対になくならないので、ストレスに負けたときはストレッサーをなんとかするとか気にしないように心がけるとかいう一切の努力を放棄して未だ好きであれる事柄に対してリソースを割き、療養に励むべき。ストレッサーを気にしないように心がけるなんてそんなもん、できたらとうにやっとるわい!!!!!!!!

 

 学業・就職に関して

 

 

・現在の大学事情や就職事情に関わっていない親の提示する大学・就職への主観はまともに聞かない方が良い。親と学歴レンジが離れている場合は特に。親が学生だったころと現在は十分に環境が異なるので、アテにならない。

努力しても一切改善の傾向が見られない不得意分野が存在する場合、やはり心理の専門家に診てもらうと楽になりやすい。不得意分野で無理に戦う必要はないし、戦う必要があっても一人でやるべきではない。世間は無差別格闘戦ではなく、その人その人の土俵があるので、自分で自分のクラスをカテゴライズするのはそれなりに大事(当該の能力に関して、できないんだと思い込まないで頑張ろう!!とかいう無差別格闘主義者についてはほっとくべき)。もちろん、そのカテゴリにアイデンティティを抱いて固執してしまうのはまた別の問題ですが…

 

 

 はい。ここからまとまりのない振り返りです。

 

0年目 予備校時代(2011年度)

 現役で箸にも棒にもかからず。マジで?

 授業料の安い零細予備校に通って生物の記述力を鍛える。数学の授業はどう頑張ってもわからなかった。

 が、文系クラスのゆるさチャラさに耐えられず文転できず。アイデンティティや肩書きに固執する無残な姿勢がこのころより見受けられますね。

 最終的にセンター試験の得点率は数学が20%、数学以外が95%前後でした。この時点でかなり予兆はあった。

 ちなみに私が出た翌年、予備校は経営難によりなくなりました。ちゃんちゃん。

 

1年目 大学1年生(2012年度)

 無理だろうなーと思っていた学部学科に給付型奨学金付きで合格。人生のピーク。

 入ってみると2クラス制で、バイオ系だったからか男女比は6:4で思っていたより女の子がいた印象。

 しかし、夏休み後に仲良くしていたメンバーが全員退学。こんなことってある???なお、仮面浪人などが友人以外にもいたらしく、75人くらいいた学生が60人くらいになっていました。医歯薬のための仮面浪人が多いのはバイオ系ならではという感じですね。

 友人ですが、理由は様々でしたが一斉にいなくなった結果、学科でぼっちになりました。うまく馴染もうと努力したんですけど、イジメにあいました。全員私に背を向けて座るとか、露骨なお菓子外しとか、嘘の予定を教えられるとか。

 そういうの、この年になってもする人間は多分一生やりつづけるので、来世は採卵鶏のヒヨコのオスに産まれて生きたままミキサーにかけられればいいですね。ボタンは私が押す。

 

 思うとこの年はサークルに救いを求めていた気がします。といってもバリバリ活動する系ではなく、サークルルームに詰めて麻雀をやりつづけるタイプの。

 大学が家から遠いこともあり、大した寄り道をするアテもなく、家では大量の復習と課題に追われ、大学では誰とも話すことのない私でもいていいんだ、誰かと話してもいいんだ、と思わせてくれました。今から考えると、全面的に自己を肯定してくれるという点において本質的に宗教と同一なのでは?

 

 

2年目 大学2年生(2013年度)

 この頃から不調を感じ始める。突発的な難聴、めまい、じんましん、易疲労感、意欲の低下、感情の鈍麻。朝、学校についた時点で登山でも終えたか?というくらいしんどい。

 肉体的な疲労感から登校が難しくなり、成績が落ち、給付型奨学金の査定に焦り精神も病む。

 個別指導講師もしていましたが、やはり講師内で浮いてしまい陰口を叩かれ続けた上、母親が交通事故で運ばれた日にも、どうせウソでしょ?サボりたいくせに。と笑った教室長にキレて辞めました。完全にゴミ。こいつもミキサーにかけます。

 多分この年度で成人式だったはずなのですが、成人式も着付け業者とモメたり一緒に出席する予定の人たちとうまくいかなかったり、散々に終わって泣いていた記憶があります。

 20歳の誕生日は成人式の後だったのですが、家族に「雇っていただいてる恩はないのか!」とバイトのシフトを入れることを強制され、帰ってきてからも祝いの一言ももらえず、ああ、10代もゴミだったけど20代もゴミで終わるんだな、と思いながら外出着のまま寝ました。

 

 結局、奨学金の査定に落ち、家族に責められ、様々なバイトをするも役に立たないか陰口を叩かれ、サークルにも顔を出せず、かといって誰一人連絡をくれることもなく、どこにも逃げ場はなくなりました。

 

 一応、成績の奮わない学生を対象に教員による面談があるのですが、この状況を伝えたところ一刻も早く心療内科に行けと言われたので行った結果、うつ病と診断されました。

 そういえば、当時仲良くしていた同い年の子にこのことを伝えると笑いながら「うつ病って自分から言う人って聞いたことない。どうせ保護?とかの金目当てでそういうフリしてるだけなんでしょ?いいなあ、あたしもうつ病っつって金もらって肉食いてえ~~~」と言われて交流を絶った。こいつはミキサーではなく、現世のうちにできるだけ酷い目に合わせておきたい。いいでしょ?いいよね。

 

 そういえば、この頃は自分がどんどん何もできなくなっていくのが怖くて認めたくなくて、あらゆることに手を出しては手が回らずに悪化に拍車をかけていた気がします。

 

3年目 休学(2014年度)

 4月、布団から起き上がることもできなくなり休学届を出しました。母親はうつ病のことを調べた!と言い張っていましたが、

 

うつ病の患者同士でこれからを話し合う会はないのか、何故そういう会を探して元気になろうとしないのか」

「できるだけ遊ばないとね!外に連れてってあげるね!ほら楽しいでしょ!!どうして楽しもうとしないの!!」

「引きこもってばかりじゃ余計悪化するからバイトしろ」

「体を動かさないといけないからボクシングジムに通え」

 

 など、ちょっと検索しただけでも引っかかってくるうつ病患者への対応の真逆をされました。この頃から母親のことを信用しなくなる。母親が性愛と家族愛をごっちゃにしているらしい(少なくとも私にはそう感じられた)ことを自覚し、さらに寝込む。逃げたくなる。

 

 逃げるアテがないので死ぬしかなくなるが、行動に移す体力がなくひたすら床に転がる肉塊に成り果てる。

 

4年目 大学3年生(2015年度)

 なんとか肉体的な活動はできるようになったので復学したものの、易疲労感と得意教科・苦手教科の差が相変わらずひどかった。

 確かこの頃に、ADHDのフォロワーさんのすすめで大学病院の精神科で発達障害の診断を受けることになる。が、診断のみで具体的対策は教えてもらえず。

 休学中から突発的な身体の硬直や意図しない絶叫など、自分だけではどうしようもないことはあったものの、「そういうのは親御さんも心配しはるから…できるだけやめたら?」と私のせいになりました。なぜ?大学病院ってこんなところなのか?だとしたら今すぐ潰れてほしい。

 体力がなかったので鬱々とはしていたものの余計なことを考える余裕もなく、ひたすら眠っていた気がする。

 

 2~4年目のこと、あんまり覚えていません。目を開けたら季節が移り変わっていた、ような。本当、ここに書いたぐらいのことしか。けどどうせロクでもないような記憶だろうと思うので、忘れていたままの方がいいと思ってそのままです。

 

5年目 大学4年生(2016年度)

 ツイッターのうまい活用法を見出す。というより、自分がガタガタな状態でもイライラしないような界隈を見つける。そして失恋する。筋トレをして少しシュッとする。アレルギーが通年でMAXで、顔が触るのも痛いほどパンパンに腫れる。もうちょっと大学生をやりたいと思う。

 疲労が取れないことをファティーグクリニックに相談したところ、記憶が定まらないほどの強いストレスであれば脳にダメージが残っており、易疲労感が取れるのは数年先を見込むとよいとのこと。まだまだ厄年。

 希死念慮が続く。が、物心ついてからというもの今までの人生に希死念慮はずっとつきまとっていたので、大きくなったこの気持ちはそろそろ私に死ぬべきだと言っているのかもしれない、と思っていた。

 

 

6年目 大学5年生(2017年度)

 卒業研究配属の単位足切りに1単位足らず、ヒラ学生をもう一年続けることに。ギエピ~~~ってリアルに叫んだ。事務室の対応がキレ散らかすほど悪かった。弊学事務はクソって教員サイド学生サイドどちらからも一番言われてるから。

 残りの授業をこなしつつ卒業研究するのはつらいので結果的にこれで良かったのかもしれない、とは、今だから言えること。

 この年の3月ごろに今の恋人と付き合い始める。精神的に不安定なときもめちゃくちゃ支えてもらった。ツイッターを介して恋人としか話さないという省エネ社会生活が少なくともこの頃の私にはちょうど良かった。

 

 ちなみにこの年に希死念慮と行動意欲、体力がうまく釣り合ってしまい、何度かやらかしました。

 実家に住んでいる状態で身辺整理を終え見つからなさそうな場所に人知れず移動し薬剤による安楽死をキメるの、めちゃめちゃ難しいなと思い知る。

 最後らへんはもう首吊り程度なら怖くないな…と思えたが今すぐ死にたいのに自宅でやるのが気持ち悪すぎて実行できず。母親のねっとりとした声と気の狂ったまなざしと私を撫で回す手つきを思い出して無理だった。

 

 全てのしがらみと未練は私ごと燃えればいいのにな、とは今も思っています。

 

7年目 大学6年生(2018年度)

 成績どころではなかった今までの学生生活の結果、人気が最底辺だった研究室に配属される。アカハラパワハラにまみれたので事務室を交えた結果、やはり事務室が下手を打ち大モメにモメる。

 本当は他大学に進学したかったのですが、研究内容は面白そうでも現ラボみたいな感じの雰囲気に当たると嫌だなと思い、信頼できる教授のツテをたどり同大学の別研究科の大変慈悲深い先生のところを志望。外部受験になるため院試対策を頑張る。

 合格したのですが、やはり嬉しかったですね。その後も入学見込みの立場とはいえこの先生には気にかけていただいており、圧倒的感謝…となっています。

 

 そして、当時在籍していたラボについては、こんなところにいられるか!と死亡フラグを立て別ラボに無理やり移る。

 この件に関しては死亡フラグは回避でき、結果的にこの選択は功を奏した、と思われます。ゴミ研究かもしれないけれども、私としては納得のいく研究ができました。

 

 そしてなんと12月、唐突に希死念慮が消える。ストレッサーは変わらずあったし、特別に薬を変えたとかはありませんでしたが、多分本当の意味で心身が恢復したのだと思っています。

 精神面が比較的安定したこともあってか、無理無理の無理やんけ…と思っていた単位も無事に取れ、卒研も無事発表まで終了し、刑期が満了しました。

 

 一睡の夢と紛うほど、終わってみれば呆気ないものでした。